これは、北畠顕家が南北朝時代に霊山城を築城し陸奥国府を霊山に移したという城跡になっていますが、霊山の麓には、北畠親房・顕家・顕信・守親を祀っている霊山神社があるということで、2017年11月19日に訪れました。
国道115号線側から入る道もあるようですが、この日は伊達市保原町から保原総合公園前を通り、県道31号線へ。
山を越えていくからか、距離はそうでもないものの、意外と遠く感じました。
大石小学校を過ぎ、りょうぜん里山がっこうを記す看板を過ぎると、右手に霊山寺、少し先の左手に霊山神社(車両登拝口)が見えてきます。
駐車場も兼ねているのか、広いスペースには北畠顕家卿の像と北畠顕家卿の実績と霊山神社の由緒が記された看板が並びます。
看板はかなり古くなっており、読むのもやっと。
明治14年に南朝の忠臣であり、国家のために特別な功労があった北畠親房・顕家・顕信・守親を祀るために、当時の別格官幣社という制度により建てられた神社だそう。
さて、拝殿は…とそれらしき建物がないことと、車両登拝口と記載があったので、そのまま車で山の中へと進みます。
中腹で「マイクロ車以上進入禁止」の看板があり、すれ違いが難しい道幅に。
軽自動車なので、進入しましたが、もし普通車だったらちょっと遠慮してしまいますね。
そこから200mほど、ここを下るの!?と急な下り坂の先に駐車場があり、恐るおそる進入、無事たどり着くことができました。
門をくぐると、鮮やかな赤い色のもみじの木がお出迎え。
この日は雪が舞う日となってしまいましたが、例年11月初旬〜中旬には京都の嵐山から移植されたと伝えられるもみじが見ごろを迎えるほか、春の例祭には濫觴武楽(らんしょうぶがく)という剣の舞がここで奉納されるそうです。
参拝を済ませると、駐車場から見えた鮮やかなもみじが気になり、参道をまっすぐ降りてみます。
そのもみじの先には、竹林とかなり急な石段が延々と続いている様子が伺えます。
これは歩くのが大変そうだと、車に戻り、参道入り口を探してみることにしました。
車両登拝口から、県道31号線へ戻り、200~300メートルほど上ると新たな鳥居が見えてきました。
こちらが正規の参道のようですね…。
相変わらず、急な石段を、この先はどうなっているのかな?と様子見にちょっと登ってみました。
すると、意外とすぐに先ほど上から見た石段が姿を現します。
下の左写真は石段を下から見た写真ですが、途中から急に登りがきつくなるので、手前の石段が下っているような錯覚を起こしてしまいそうです…。
右写真は上から見下ろした写真。
再度、訪れた際にはぜひこちらの石段から参拝させていただきたいと思います。
霊山神社は、強運の守護神として「強運守護刀お守」が人気だそうですよ。
また、霊山 県立自然公園登山マップ(新・日本百名山 霊山を登る – 伊達市観光物産交流協会 )によると、湧水の里キャンプ場や霊山閣跡にも登山口があり、霊山寺跡を巡るにはこちらの方が若干近いようですね。
(ただ、私の古い記憶によると険しい道もあります)
春・秋に行われる例大祭の時期にもぜひ訪れてみたい神社です。
ホームページ:霊山神社 – 伊達市観光物産交流協会 ,霊山神社春季例大祭 – 伊達市
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